Indifference

リプレースメント

過去・現在・未来を生きること

いままで、私は過去のことにとらわれて、「いま」を生きることができなかった。…あのとき私が軽はずみな行動(自殺未遂みたいなこと)をしてしまったせいで、ひょっとするとひとりの人に生きるのをやめる決心の後押しをしてしまったかもしれないと考えるととても悲しくて、申し訳ない、言葉では言い表せないような気持ちになる。たしかに、過去を清算することはできない。私たちは過去とともに生きていくしかないのだ。それでも、過去を反省して、「いま」の行動に反映させることならできる。私にはそれをする道義的責任がある。

いま、私は目の前のことにとらわれて、未来を見ることができていない。休学するのかどうか、それも決めないといけないのだけれど、悩み続けている。今日の予定、明日のことを考えるのが精一杯で、先のことなんて考えられなかった。

思考が止まってしまうのだ。電話越しで話していても、おそらく、言葉がめぐって詰まって出てこない様子は伝わるだろう。これは精神運動制止と呼ばれる症状かもしれない。頭が働いてくれなくて集中どころではないのだ。ガクッと落ち込んで動けないときもある。そんなわけで薬の調整が入った。サインバルタ®というSNRIセロトニンノルアドレナリン再取り込み阻害薬)に属する抗うつ薬を処方されることになった。これで意欲が改善して行動できるようになるといいのだけれど。

薬の副作用も気になった。エビリファイ®という非定型抗精神病薬を処方されていたのだけれど、ろれつが回らなくて明らかに自分でも苦痛で、聞いている・見ている人にもわかる状態だったので、抗コリン薬を入れた上で、薬を減量した。それでも足がそわそわするなどの症状は残った。

自分で自分のことを評価することができていないと言われた。自分に価値を感じられないから、悪い意味で何でもできてしまう。主治医の先生には少しでも出かけられている、行動できていることを自ら評価するようにと言われた。大学の保健センターの先生からも、作業(勉強など)をすると、頭がかつて思っていたようには働かなくて、こんなはずではなかったのに、となるかもしれないけれどそれはリハビリだから、少しずつ進めていくしかない、とも言われた。

また、依存する関係ではなく、普通の友人関係を増やしていくべきだと言われた。私はどうしても頼れる人を求めてしまう。人を頼りにするということは自分を不安定にすることなんだって。関係がうまくいかなくなる不安に襲われると行動が先鋭化してしまう。死ぬって何度も言ったけど相手にされないし結局まだ死んでいない。さびしい。見捨てられるのが怖い。

難しいかもしれないけれど極端な思考をするのをやめるように、とも言われた。他人(ひと)に対しても、自分に対しても、全てか無しか求められない。あの人はじつは悪い人ではないか、信用できない、とか、理想化と両極端に走りがちなのかもしれない。

空っぽな気持ちを埋めるために衝動的な行動に走る。動けるときは。でも、肝心なことは何もできていない。今書いているこの文章もつたない。読書をすること、座ってこうして文章を書くことも大変……

はたして、私は勉強できるようになるのだろうか。そして私の人生は修復可能なのだろうか。その先に残された生があると信じるなら私は行動し続けなくてはならない。まだまだ未解決の課題がいくつもあるのだから。もちろん、私の人生には致命的欠陥がいくつかある。だけど対処法はあるはずなのだ。

@私 生きることができる可能性を追求して


メンヘラ.jpに今年初めに書いた記事が載った。

親に求められて獲得した「理系東大生」という肩書きの代償 - メンヘラ.jp

変な文章を読んでくださって掲載していただいた関係者の方には心から感謝したい。

実は何もできていない

空っぽな行動を繰り返している。その場の思いつきだけの先を予測しない衝動的な行動、勉強どころかなんのためにもならないような空っぽな行為、行い…そういう生活。

動けなくて何もできない、という夢を見た。病院ないし施設に入れられて、静脈にラインを確保されて点滴につながれてしまう。起きてもそれはやはり半分は現実だった。生きているだけ。その実感もない。私は、動ける限りにおいて必死に何か非生産的なことをしようとすることで何も内容があることができていないことから目を背けようとする。生活も半分破綻している。今週はn日間大学に行った!…行くだけ。勉強もしていないし試験に出るどころじゃないので単位も取れない。外出してもどこかに行って時間つぶしあるいは自暴自棄な放浪(失踪?)をするだけだ。

FoursquareのSwarmというアプリがある。実際に訪れたスポットにチェックインすることで位置情報を任意で共有するソーシャルゲームだ。そのアプリで点数をかせいだり、特定のスポットに最も多くチェックインすることで「メイヤー」を獲得すること、それが多少動くための動機づけになっているかもしれない。本当につまらないことだ。何人かの人に対して、生きている、今ここにいる…というメッセージを送ること(相手が見ているかもわからないのに。)ただそれだけ。精神・心理療法の一種だろうか。

生きているのが本当につまらない。むしろつらい。手首を切るかわりのことをしたとしても自己破壊的になるに決まっている。そもそも存在しているということ自体が自傷行為だ。

根底には自分には何もできないという意識がある。成功体験がない。未来に前向きになれるはずがない。大学の定期試験等を受けること自体に苦手意識を持ってしまうくらい大学生として破綻している。適応障害適応障害ってくらいで死にたいなんて甘えじゃないの?そういうコメントをもらった。そうかもしれない。でもずっとしにたい。いつからか、しにたいと思わない時期はなくなってしまった。早くしねばいいじゃん?

自分に認められる価値がないのだ。何もできていないから生きている意味はないと思う。生きているというだけで焦りさえ感じる。思考も解体している。


このブログは書いた人が死んだらすぐ姿を消すと思われるので、あとで読みたくて心配な人はアーカイブとかを残しておくといいかもしれない。いないと思うけど。

受け容れられるということ

退院してしばらく経って、少しずつ、今までの経緯を言葉にして残しておこうと思いはじめた。

勉強をすることがなかなかできないということ、家庭環境の問題、気分や行動の問題、反省点など、いろいろ書いた。大学受験の経緯や結果についてもかなり書いた。つらいこと、死ねなかったこと、うまくいかないこと、将来に絶望しているということ、だけど勉強ができるようになりたいということ…

年が変わり、ある程度文章がまとまってきたので、これを某サイトの読者投稿コーナーに寄稿しようということを思いついた。文書を添付してメールで送信した。

ところが数週間経過しても返信は来ないし、掲載されるわけでもなかった。

編集2018-02-09: 掲載されました!ありがとうございます。

(この文章はその掲載されなかった文章についてのメタ文章である。)


なぜだろうか。

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ふたご座流星群

13日、ふたご座流星群が見られると聞いて外へ飛び出した。空は明るいし雲もあって障害物も多いのでとてもなかなか見えない。1時間待っても私には流れ星を視認することはできなかった。

だんだん晴れてきた。街灯がじゃまだった。視界が広いとは言えないけれど、公園まで行った。

星空の写真を撮ったりしばらく待ったりしていた。夜遅くまで。こんな人生にどんな意味があるのだろう。

だけど流れ星を見つけることはできなかった。視力のせいかもしれない。見続ける忍耐も足りなかったかもしれない。

待った。流れ星は現れない。飛行機は現れたけれど…

見続けていた。

体が痛くなってくる。体温も下がり始める。動く気力も体力もない中かなりの無理をしていたと思う。

それは現れた。天頂から西の空へと光の筋…2307時、それは明るかった。確かに流れ星(流星)だった。明るくなければ見つけられなかったかもしれない。本当に一瞬のできごとだった。

一瞬だけ頭が空っぽになる。そしてその次の瞬間いろいろなことを思い出す。主につらいことばかり感じられる。初めて流星のまともな観測に成功したという思いでそれまでの期待と不安が姿を消したと同時に残りの心理的現象があらわになり始める。心の空虚さが隠しきれなくなる。

人生は悲しいものだ。生きているのはつらいこと。なんでこうなってしまったのだろうか。流れ星のように全てを流して消え去りたい。人生はきっと流れ星だ。自分が大嫌い。私みたいなゴミが生きていてごめんなさい。私にいまあるのは大学名くらいだしそれも危うい。

冷凍庫に入れてある保冷剤を手に取る。冷たい。いつかあの日病院で食べたお菓子の保冷剤だ。あのときが最後になってしまった。単なる悲しいという言葉をつかうのでは表しきれない思いだ。私にあのひとはいろいろなことを教えてくれた。私は何かしてあげられただろうか。あのひとがぼくという一人称を使っていたのを思い出してワッとなる。退廃ハウス。心に負った傷というのは深いものなのだろう。私なんてエセメンヘラだ。

私は今までいろいろな人に甚大な迷惑を与えて不快にしてきてしまった。だから私に何か悲しむ資格はないのかもしれないけれど。改めて各位に心からおわびしたい。今後同じようなことを繰り返さないように注意するのはもちろんのこと、何か言われたらさらに行動を改善していきたい。私は間違っていたのだから。

皆さんの成功を祈るとともに、私は(自分と違って)きちんと行動できる人を心から尊敬したい。これ以上中身のない文章を書いてもしかたない。私はしょせんこの程度の文章しか書けないのだ。流れ星に願いを込めて。幸運と平安を。

意識を失っていた間に

睡眠薬や鎮静薬、抗精神病薬アルコール飲料とともにODした。40時間後に、下になっていた部分の激痛とともに目が覚めた。死んでいなかった。寝返りも打てない状態で気を失っていたのだ。

ふらふら予約してあった大学の保健センター精神科に向かった。あとでふらつきを訴えたら精神科救急に回されて、東大病院救急外来受付(15)にタクシーで精神科看護師の護衛付きで送られてしまった。黙っていたほうが良かったかもしれない。救急の診察室に入れられて、保健センターの先生と父親が同席する中で、精神保健福祉法にもとづく親の同意による医療保護入院にさせられてしまった。

精神神経科、連れて行かれたのは閉鎖病棟、それも奥にある保護室、監獄のような部屋だ。閉鎖病棟なので病院内も含めて外出は基本許されない。個室内への隔離でこそないものの、外部からほぼ完全に遮断された状態で、電子通信機器の使用も許されない。入る直前にこれからTwitterに閉じ込められるとだけツイートした。

院内に限り親の同伴による外出の許可がされることになった。そこでスマホを使ってTwitterなどSNSをいそいで処理する、これを何度か繰り返した。ところで自分が管理するシステム、サーバーの様子を確認していなかったことを思い出した。一通りかんたんに試しにアクセスしてみると、ひとつのWebサーバーに完全にアクセスできなくなっていた。これは早急に手を打つ必要がある。

親に頼んでPCを持ってきてもらって院内で作業することにした。入院直前に大学のWi-Fiアカウントを更新してあった(半年で切れる)ので、大学病院内でもなんとかネットが使えた。問題のサーバーにはがたがたするもののSSHできた。メモリとCPUを最も使用しているプロセスの負荷を減らすべく設定を変更した。ディスクも十分空いていたが、I/Oの問題が疑われた。モニタ画面のIO関係の割り込み時間が急増していたからである。Webサーバーを再起動するも結局問題は解消されなかった。クラウド側の問題が疑われた。

翌日再びアクセスしてみると問題は解消されていた。クラウド側のバックボーンにDDoS攻撃が発生し、運営側が通信を遮断していたようだ。そのことと関係があるかもしれない。長期に渡ってアクセスが激減し、コンテンツ提供側としては大打撃である。(私はこれで所得を得てはいないものの。)クラウドの信頼性撃墜である。10万ユニークビジターを超えるアクセスを得ていただけに惜しかった。(このブログは別な場所にあるので影響はない)

再びシステムの更新などのメンテナンスを行った。Twitterもがんばってツイートした。ただ院内同伴外出の限度は2時間、これを超えるといったん戻る必要がある。親との関係ももともとよくないし、母親は時間を守れない最悪な人間だし、非常に人間関係もギクシャクする中で、ひんぱんに親を呼ぶわけにもいかない。

つまりほとんどの時間を、外部との通信を遮断された状態で(テレフォンカードで公衆電話は使える、ただどれほどの電話番号を知っているだろうか(?)、あるいは相手がそのとき出られるとは限らない)、孤独に、隔離された何もない閉鎖病棟で過ごすしかないのだ。若干の本は持ち込んである。起きて動けるときに限るけれど、大学の医学図書館で借りてきた、精神医学に関する本を、精神神経科閉鎖病棟で読む日々である(!)。なんて異常者だろうか。

何もする気がないときも多いし、頭も明瞭に働くとは限らない。つまりかんたんにいうと、何もできないときも多い。ほぼ刑務施設状態である。しかも気分の落ち込みも大きい。隔離されて何もできない、やり取りもできないという気持ちが、さらに目の前を真っ暗にさせる。

そもそも、気持ちが空っぽなのだ。自分が何なのかもわからない。私はこのまま何もできなければ2,3年の命しかないことはわかっている。前に進まないといけないのだ。ただ将来が見えない。やらなければいけないことがある。一方で生きることができなかった人生があるという思い、抑圧してきた親への恨み、さまざまな気持ちが渦巻いて自分でも説明しきれていない。

作業療法 (OT) を勧められた。休学を検討してとのことだ。作業療法を勧められる大学生なんて!(あーあ…)

私に未来はあるのだろうか。空虚な絶望感に包まれながら手元のヘルプマークを握りしめる。

ヘルプマーク

枯れてしまっている泉

退院した。思考が止まってしまうときがある。何も考えられなくなってしまう。言葉も出づらくなってしまって心が身動きが取れなくなる。そこまででなくても精神の働きが滞って、考えがまとまらなくなって何にも集中できなくなることはしばしばである。

ここには書けないけれど、精神を削るようなできごとが私の周りで何度も起こった。ひとつは、自分にはどうにもできないことだった。少しは落ち着いたかもしれないけれど、なんとか収束を祈るばかりである。ほかに、私の心にもぽっかり穴をあけるようなできごともあった。(数少ない知人の死…お悔やみ申し上げます)とても悲しいことだった。私にできることはなかったのだろうか。一方で私はこうも思う、その人の死は多くの人を悲しませたかもしれないけれど、私がいなくなったとして、同じように悲しむ人がどれだけいるだろうか。親族や治療関係においてはもちろん私を失うことは《損失》であり大文字のネガティブなイベントではあるかもしれないけれど、それがどれだけ人の心に響くだろうか。つまり私の生きている価値はそれだけであって、生き続けることに大きな意味はないことは明らかではないか。それはこうして必然化される。つまり私はクズみたいな存在、他者のじゃまになるだけ、迷惑な存在である。私だって《生》の絶対的な肯定をしたかった。私は他者主体の絶対的な尊厳を尊重したい。ただ私が自分の意志をもって自分が大嫌いなだけだ。ここでもパターナリズムの問題が出てきてしまう。

文章をこうして書くことは、それができるときにはカタルシス効果をもたらして気持ちを楽にしてくれる可能性がある。だからこのブログも存在するということもできるのかもしれないってくらい。なにかを読むことも続けられないときもあるのだけれど。

でも、いま、正直何も書きたくない。語りえぬことについては沈黙せねばならない。(違う)この投稿も無意味な文章ばっかり。

こころが空っぽ。

もちろんこんなブログを書いても誰からも相手にされない。私はキチガイだし、当然かもしれないけれど。

思ったけどこのブログ、とても理系って感じがしないね。文系の概念とかばっかりだしそれもちゃんとした論理じゃなくて空虚な詭弁ばっかり。

特に言いたいことはない。臓器提供する意思はないというくらいはここに書いておくけれど。(それはブログに書くことじゃない)念のためのことも考えて遺言書も用意したし。(他意はありません)

期限は限られている。つよく生きて。未来を信じて。

かつての集中力、そして意欲は、(もしそんなものがあったとすれば、)いったいどこに行ってしまったのだろうか…

すべては自分の気のせいなのでは…?

本郷と駒場

開放病棟に移った。《同伴なしで外出許可がもらえるようになった。》

2016年11月24日から26日は駒場キャンパスで駒場祭が開かれた。とうぜん私はほとんど関わることはできなかったけれど、やっぱり行ってみたかった。

ところが担当医にそのことを伝えると、矛盾するみたいだけれど、刺激が強すぎることを心配して、許可できない、行くなら同伴つきで、と告げられてしまった。行きたい、仕方ないので親に同伴を依頼せざるをえなかった。

2日間行くことになった。本郷と駒場の往復だ。

駒場キャンパスでは大学のコミュニケーション・サポートルーム(駒場保健センター)にまず行った。人が多くて刺激が強くて大丈夫か、不安になったりしないかって、心配された。

親がいると振り回されてしまって自分の思ったように企画を見て回れないことがわかった。残念だった。かなり疲れた。でも全体的に楽しかったはずだと思う。一部の企画で若干の混乱はあったけれど、みんなががんばっていた。クラスの屋台も完売してすごいと思った。

さて、ところで病院の先生からは、教務課からのおおよその情報をもとに、自主留年を軸に検討するのがいいのではないか、などといわれ、これから駒場の教養前期課程の教務課に行って、履修の相談をしたり、授業に潜り込んで来年以降本格的に勉強するための準備をしなくてはいけなくなった。

本郷と駒場の往復だ。これでは定期券が欲しいくらいになってしまう。(これが意外と遠い)いろいろな経路を試したもののどれもやや不便で、時間がかかるし歩く距離もある。

ああもういやだ。…しっかり高い進振り点を取らなくてはいけないのだけれど。

自分が行きたいところの中から、行きたい順位をつけて、目指すのが良いと思う。
ー 私を担当した医学部医学科5年生の言葉。

私はどこに向かっているのだろうか。

 

(追加:駒場祭前日の23日、私に前回入院中お見舞いに来てくれた人のうちの一人が亡くなったことを知った。お悔やみ申し上げます。心に穴が開いたようでなんとも言えないかなしさとくやしさ…さみしいです。でも私が死んでも誰もこうやって悲しんでくれないだろうな…)