Indifference

リプレースメント

閉鎖病棟から

医療保護入院として閉鎖病棟に入れられているので、スマートフォンやパソコンなどの電子機器は使えない。外では使えるのだけれど、外にはもちろん自由にはいけない。看護師あるいは親族同伴での院内外出のみ認められている。同伴の監視つきでも、院外(キャンパスの病院以外の部分とか)に行くには担当医からの許可証が必要だ。

親に頼み込んで外出に同伴してもらっている。図書館でWi-Fiと電源が使えるのでこうしてブログを更新している。

病棟ではあまりにも何もやることがない。あまりにもひまで退屈で時間を過ごすことそのものに飽きてしまうので、それに慣れてしまって、いまみたいに外に出ても何もやる気がしないし何もできない。そうじゃなくてこれは気分の問題かもしれないけれど、何もやる気がしない。(大切なので二回言いました)

なんとか平和に過ごしているので、来週からは医療保護入院を解いてもらって任意入院にして、開放病棟に移れるかもしれない。それでもこのやる気のなさじゃ何もできないかもしれない。

これから、リハビリの生活を経て、本格的な大学生活に復帰しないといけないのに、これではうまくできる自信がない。広汎性発達障害の疑いをかけられたり、ただでさえ欠陥だらけの「障害者」である。いまより状況が良くなるのを期待して祈るばかりである。

意欲の欠如と無力感…

退院した

3日(正式には4日)に退院してしばらくたった。このブログは入院しているときに設定して立ち上げたものだ。なにもすることがなく、短い文章でも思ったこと、自分の言葉を、他の人も見られる形で残しておこうと思ったから。よくサーバーの設定をすることができたなって思う。

休学の手続きを取らなかったので、授業に出ないといけない、その一心でがんばって退院したものの、なかなか継続して授業に出ることは難しい。

自分の意志をコントロールして行動するということが難しい。実際のところかなり困難だ。つまり動かないといけないと思っていても動けない、やるべきことがあってもいつまでも伸ばしてやらないで済ませてしまう。悲しくてつらくて気分も最低だと、それはさらに増幅されて、まったく何もできない状態になってしまう。行動できないと、状況は悪化する。それによって気分の状態が悪化する悪循環だ。とにかく死にたくなる、これは本当だ。

カウンセリングを紹介された。いろいろ何ができなくて困っているか話した。まだ話しきれていない。何か解決への道筋を見出すことはできるのだろうか。私は信じられない。

何かできるときはある。ただそれは私がコントロールできることではない。こうやって動けるときに思いつきで文章を書いたりツイートしたり、その程度のことをやるだけだ。このままだと前に進めない。進めない、それは死だ。

見られるのって、気にする?

このサイトのアクセス記録は無効にしてある。アクセス元に関する情報はもちろん、どのくらい閲覧されたかの記録もまったく残らない。単にパフォーマンスとプライバシーを重視してそうなっているだけなのだけど、つまり…このサイトがどれだけ人の目に触れても触れなくても、開設者がそれを知ることはないということだ。

どれだけアクセスされたかって気にするだろうか。足跡を残さない訪問者を、このサイトは感じない。意識しても意識しなくても関係ない。自己顕示欲は消えてしまった。

このサイト自体、たくさんの人に見てもらうためのものでもない。この文章だってあまり人の目に触れるとは思えないし。

としょかん

意味もなく大学の図書館への出入りを繰り返しているー勉強をしているわけではないー大学の学生証で出入りが自由だからという理由だけで…たまに気まぐれで本を手に取り借りていく…あるいはそれが利用できるところではパソコン端末にログインして、このように無意味な作業を続ける。

いったいどのような意味があるのだろうか。単に有効な時間の使い方を知らないからそうしているだけではないだろうか。そう疑うことが大切かもしれない。

そもそも人生にわかりやすい意味なんて存在しないのだ。子孫を残すことーそれは意識のある人生というレベルでの目的ではない。(もしそれが理由なら私たちの生は意味を失う)

すべてに意味がないならどうして容易に個々の行動を意味づけられるだろうかーできない。とこうして私は大学のキャンパスをさまようのだ…

サーバーを維持するということ

現在、このブログ(注:元サイト)(と他のいくつかのサイト)は、私が管理するOn-premises環境で、独自のドメイン名を使って運用されている。これには特に強い意味はない。私の知り合いが何人もブログをやっていて、一方私の頭は腐りそうということで、自分もブログを開設しておこうと思っただけなのだ。

私は思いつきでドメイン名を取得してしまったので、それを使わないともったいないのと、グローバルIPv4アドレスを持つコンピュータがちょうど余っていたののでそれらを使用している。

このサイトで使用しているドメイン名(H09.EU)には公式には特に意味はない。単に短くて、かつ普通に取得できたドメイン名というだけである。

管理者は私しかいないので、これらのサイトの末路は私に左右されている。そういう意味では信頼性は最低である。

忘れた

私は何をしていたのだろう。何をしようとしていたのだろう。

忘れてしまった。

何かをやろうとしていたのだ。それともそれは幻想だったかもしれない。何なのだろうか。

ちがう作業から戻ってきたら、私がその後やろうとしていたことは消えてしまった。

不思議だ。いや…どうせ私が馬鹿なだけかもしれない。実際、今日WAIS-3を受けて、一番の感想が「自分の頭の悪さを実感した」だったわけだし。

私には才能も何もない。それをカバーする努力をすることができる才能もない。私の持つ絶対音感的感覚は弱いものだし、記憶力も平均的な人よりわずかに勉強で楽ができる程度のレベルだし、驚異的な集中力を発揮できるわけでもない。

もちろん別に特別な能力をもっていないことはどうでもいい。ただ存在するのはつねに無条件で存在するとにかくかなしい感情である。

周囲の人たちが内容が豊かなブログを書くことに私はただ驚くばかりである。私は空っぽな文章を生産することしかできない。どうしてだろう。私が空っぽだからではないだろうか。空っぽだから紡ぎ出す文も空虚なのだ。

はっきりした自分が存在しない。かろうじて他者との関係性の中に同一性を見いだせるか否かで、だからいつも不安定でしかないのかもしれない。

好きな〇〇はなんですか、という質問は嫌いである。そんなものは存在しない、またはどうでもいい…私が何かしているのはそれを愛しているからでは決してない。ただやってみているだけなのだ。何にもこだわりを感じられないし、そんなことはきっとどうでもいい。

とにかく頭の悪さしか感じない文章である。それさえも気にせずに投稿ボタンを押す。