Indifference

リプレースメント

意識を失っていた間に

睡眠薬や鎮静薬、抗精神病薬アルコール飲料とともにODした。40時間後に、下になっていた部分の激痛とともに目が覚めた。死んでいなかった。寝返りも打てない状態で気を失っていたのだ。

ふらふら予約してあった大学の保健センター精神科に向かった。あとでふらつきを訴えたら精神科救急に回されて、東大病院救急外来受付(15)にタクシーで精神科看護師の護衛付きで送られてしまった。黙っていたほうが良かったかもしれない。救急の診察室に入れられて、保健センターの先生と父親が同席する中で、精神保健福祉法にもとづく親の同意による医療保護入院にさせられてしまった。

精神神経科、連れて行かれたのは閉鎖病棟、それも奥にある保護室、監獄のような部屋だ。閉鎖病棟なので病院内も含めて外出は基本許されない。個室内への隔離でこそないものの、外部からほぼ完全に遮断された状態で、電子通信機器の使用も許されない。入る直前にこれからTwitterに閉じ込められるとだけツイートした。

院内に限り親の同伴による外出の許可がされることになった。そこでスマホを使ってTwitterなどSNSをいそいで処理する、これを何度か繰り返した。ところで自分が管理するシステム、サーバーの様子を確認していなかったことを思い出した。一通りかんたんに試しにアクセスしてみると、ひとつのWebサーバーに完全にアクセスできなくなっていた。これは早急に手を打つ必要がある。

親に頼んでPCを持ってきてもらって院内で作業することにした。入院直前に大学のWi-Fiアカウントを更新してあった(半年で切れる)ので、大学病院内でもなんとかネットが使えた。問題のサーバーにはがたがたするもののSSHできた。メモリとCPUを最も使用しているプロセスの負荷を減らすべく設定を変更した。ディスクも十分空いていたが、I/Oの問題が疑われた。モニタ画面のIO関係の割り込み時間が急増していたからである。Webサーバーを再起動するも結局問題は解消されなかった。クラウド側の問題が疑われた。

翌日再びアクセスしてみると問題は解消されていた。クラウド側のバックボーンにDDoS攻撃が発生し、運営側が通信を遮断していたようだ。そのことと関係があるかもしれない。長期に渡ってアクセスが激減し、コンテンツ提供側としては大打撃である。(私はこれで所得を得てはいないものの。)クラウドの信頼性撃墜である。10万ユニークビジターを超えるアクセスを得ていただけに惜しかった。(このブログは別な場所にあるので影響はない)

再びシステムの更新などのメンテナンスを行った。Twitterもがんばってツイートした。ただ院内同伴外出の限度は2時間、これを超えるといったん戻る必要がある。親との関係ももともとよくないし、母親は時間を守れない最悪な人間だし、非常に人間関係もギクシャクする中で、ひんぱんに親を呼ぶわけにもいかない。

つまりほとんどの時間を、外部との通信を遮断された状態で(テレフォンカードで公衆電話は使える、ただどれほどの電話番号を知っているだろうか(?)、あるいは相手がそのとき出られるとは限らない)、孤独に、隔離された何もない閉鎖病棟で過ごすしかないのだ。若干の本は持ち込んである。起きて動けるときに限るけれど、大学の医学図書館で借りてきた、精神医学に関する本を、精神神経科閉鎖病棟で読む日々である(!)。なんて異常者だろうか。

何もする気がないときも多いし、頭も明瞭に働くとは限らない。つまりかんたんにいうと、何もできないときも多い。ほぼ刑務施設状態である。しかも気分の落ち込みも大きい。隔離されて何もできない、やり取りもできないという気持ちが、さらに目の前を真っ暗にさせる。

そもそも、気持ちが空っぽなのだ。自分が何なのかもわからない。私はこのまま何もできなければ2,3年の命しかないことはわかっている。前に進まないといけないのだ。ただ将来が見えない。やらなければいけないことがある。一方で生きることができなかった人生があるという思い、抑圧してきた親への恨み、さまざまな気持ちが渦巻いて自分でも説明しきれていない。

作業療法 (OT) を勧められた。休学を検討してとのことだ。作業療法を勧められる大学生なんて!(あーあ…)

私に未来はあるのだろうか。空虚な絶望感に包まれながら手元のヘルプマークを握りしめる。

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