Indifference

リプレースメント

受け容れられるということ

退院してしばらく経って、少しずつ、今までの経緯を言葉にして残しておこうと思いはじめた。

勉強をすることがなかなかできないということ、家庭環境の問題、気分や行動の問題、反省点など、いろいろ書いた。大学受験の経緯や結果についてもかなり書いた。つらいこと、死ねなかったこと、うまくいかないこと、将来に絶望しているということ、だけど勉強ができるようになりたいということ…

年が変わり、ある程度文章がまとまってきたので、これを某サイトの読者投稿コーナーに寄稿しようということを思いついた。文書を添付してメールで送信した。

ところが数週間経過しても返信は来ないし、掲載されるわけでもなかった。

編集2018-02-09: 掲載されました!ありがとうございます。

(この文章はその掲載されなかった文章についてのメタ文章である。)


なぜだろうか。

迷惑メール扱いになって一切人の目に触れることがなかったのだろうか。(注:私は事前にGmailアドレスに同内容を送信して、受信できることを確認済みだったのだけれど…)受信はされても迷惑メールフォルダに行ってしまって確認されないということはありうる。あるいは仮にそうでないにしても大量のメールをおそらく受信する中で見逃されてしまったのだろうか。でもそれならまだしかたがない方だと思う。

それとも私の文章が相対的に下手で魅力に欠けていて、大量に来る投稿希望の中で選ばれなかったのだろうか。そうかもしれない。内容もわかりにくかったかもしれない。典型的な枠組みの中に入れられないような、めんどくさい文章なんて、無視したほうがいいって思ったかもしれない。

実は同時期に同じ大学の人の投稿が掲載された。それで、わかりにくい私の文章の方は掲載なしという判断をされた可能性もある。その掲載された文章はシンプルで、私の送ったものとはまるで方向性から異なる。(私は特定の大学に合格したからといって必ずしも救われるわけでもないと考えている。)私の文章は読者投稿担当者の価値観に合わなかったのかもしれない。

でも、少なくとも「こういった理由で掲載できません…」というような返信はされるべきではないだろうか。…悩み生きる人を、存在を否定し無視し、切り刻んで切り捨てて排除して見捨てることが当該サイトの目的だったのだろうか?…サイト上には、確かに返信は保証しない旨が書かれている。ただ、私の送った文章はそれほど悪質で、不適切な迷惑行為だったのだろうか?それとも一瞥(いちべつ)にも値しないつまらない幼稚なものだったのだろうか。私はサイトの趣旨からして決して遠くないまとまった文章を送ったつもりだったのに。

別な可能性も考えられる。私の持つイメージや人間性が嫌われた可能性だ。私の持つ属性や経歴は、あるいは文章から漂うにおいは、ある人たちにとっては自己中心的で、不快なものとして映ったかもしれない…

メール送信元のドメインが嫌われたかもしれない、添付形式が嫌われたかもしれない、Twitterのアカウントが嫌われたのかもしれない、ブログのリンクが嫌われたのかもしれない、文字化けして読めないからめんどくさくて放置されたのかもしれない…いろいろな可能性はある。

いずれにしても私はこれを暴力的な事象として体感した。それが事実である。不安定な人にとってこれは良い出来事ではない。存在を否定されたように感じられた。


ここまでいろいろ不快な文章を書いてしまってごめんなさい。今度は(生きていたら)もっとまともな文章を書くつもりなので…

このくらいのことにこだわるつもりはないし、あまり気にしてはいけないのかもしれない。少なくとも私は他の人になるべく嫌な思いをさせないようにしていきたい。

ちなみに今はすごく空っぽな気持ちだ。だめな文章しか書けない自分が大嫌い。

でも、きっと文章を書くことは悪いことではないので、これでいいのかもしれない。