Indifference

リプレースメント

実は何もできていない

空っぽな行動を繰り返している。その場の思いつきだけの先を予測しない衝動的な行動、勉強どころかなんのためにもならないような空っぽな行為、行い…そういう生活。

動けなくて何もできない、という夢を見た。病院ないし施設に入れられて、静脈にラインを確保されて点滴につながれてしまう。起きてもそれはやはり半分は現実だった。生きているだけ。その実感もない。私は、動ける限りにおいて必死に何か非生産的なことをしようとすることで何も内容があることができていないことから目を背けようとする。生活も半分破綻している。今週はn日間大学に行った!…行くだけ。勉強もしていないし試験に出るどころじゃないので単位も取れない。外出してもどこかに行って時間つぶしあるいは自暴自棄な放浪(失踪?)をするだけだ。

FoursquareのSwarmというアプリがある。実際に訪れたスポットにチェックインすることで位置情報を任意で共有するソーシャルゲームだ。そのアプリで点数をかせいだり、特定のスポットに最も多くチェックインすることで「メイヤー」を獲得すること、それが多少動くための動機づけになっているかもしれない。本当につまらないことだ。何人かの人に対して、生きている、今ここにいる…というメッセージを送ること(相手が見ているかもわからないのに。)ただそれだけ。精神・心理療法の一種だろうか。

生きているのが本当につまらない。むしろつらい。手首を切るかわりのことをしたとしても自己破壊的になるに決まっている。そもそも存在しているということ自体が自傷行為だ。

根底には自分には何もできないという意識がある。成功体験がない。未来に前向きになれるはずがない。大学の定期試験等を受けること自体に苦手意識を持ってしまうくらい大学生として破綻している。適応障害適応障害ってくらいで死にたいなんて甘えじゃないの?そういうコメントをもらった。そうかもしれない。でもずっとしにたい。いつからか、しにたいと思わない時期はなくなってしまった。早くしねばいいじゃん?

自分に認められる価値がないのだ。何もできていないから生きている意味はないと思う。生きているというだけで焦りさえ感じる。思考も解体している。


このブログは書いた人が死んだらすぐ姿を消すと思われるので、あとで読みたくて心配な人はアーカイブとかを残しておくといいかもしれない。いないと思うけど。